Youtuberヒカルさん曰く「漫画のような生き方」
これは、何も漫画に限った話ではなく、小説でも良いだろう。
つまるところ、そこに冒険譚があるかどうか。
また、心を震わせる感動があるかどうであろう。
今回、紹介するのは司馬遼太郎さんの「国盗り物語」です。
キングダムの桓騎が好きなら、松波庄九郎も間違いなく好きなはず。
その人物像はとても良く似ているといってよい。それでも、国盗り物語で描かれる松波庄九郎の方がより魅力的ではある。
漫画と小説の情報量の違いによるものかもしれないが、ヒカルさんにぜひとも読んで欲しいと願う。
いつの日かまわりまわって、この文章がヒカル氏に届けばよし。
漫画が好きな人が司馬遼太郎作品を読むべき理由

漫画のような展開が好きな方は、ぜひとも司馬遼太郎の作品を読むべきである。
第一に作品の中に心を震わせるものが存在し、第二に魅力的な登場人物の描写は他の追随を許さない。
今回紹介するのは「国盗り物語」であるが、松波庄九郎(斎藤道三)に始まり、織田信長や明智光秀。主な登場人物は上記の三人であるが、それ以外にも歴史上の偉人たちの様が魅力的に描かれている。
結末の見えた展開でありながら、ページを進める原動力たるワクワク感は増すばかり。
まるで漫画を読んでいるような感覚で読める小説。
これこそが司馬遼太郎作品の魅力の一つといえるでしょう。
ヒカルさん、まずは「国盗り物語」から始めてみませんか。
「国盗り物語」の流れ
国盗り物語は文庫版で全四巻、総ページ数は2000を超える長編です。
1~2巻は松波庄九郎こと斎藤道三の生き様を描き、3~4巻では織田信長と明智光秀の生涯を描いています。
3巻途中で斎藤道三は物語から退場してしまうのですが、道三の弟子たる二人が後の物語を紡いでいく様は、他にはない切り口といえるでしょう。
そもそもの性格・生まれ・考え方・道三から受け継いだものが違いますから、二人の考えが交わることはありません。
むしろ相反する様は、結末を知っているからこそ、読み進めるうちにもの悲しさが増していくことでしょう。
作中の名言を紹介
- 方便とは、文学で言えば、真実に参入するために許される虚構のようなものであろう
- 世のことは二相あって初めて一体なのだ。万物すべてに陰陽があり、陰陽相たたかい、相引き合い、しかも一如になって万物は動いてゆく
- 力こそ世の静まりをもたらすものである。能力あるものが君主の位置につくべきであり、能力こそ支配者の唯一の道徳である
- 王家が古びて時代を担当する能力を欠くようになれば、天命革まり、天は英雄豪傑を選んで風雲の中に剣を持ってたたしめ、王家を倒して新しい政治を布く。これを革命という。革命児には本来主人はいない。あるのは、ただ天のみ。
- 人間とは、飽くことを知らぬ欲望のかたまり。善人もいるが、悪人もいる。だからこそ善政をしく。百姓には水を与え、武士には禄を与え、能力・功績あるものには惜しみなく財物を与え、商人には市を立てて利を大きくしてやる。
松波庄九郎とYoutuberヒカルさんの共通点とは?
国盗り物語で描かれる松波庄九郎(斎藤道三)とYoutuberヒカルさんの共通点は意外に多いものでした。
あくまでも個人の主観ではありますが、概要は以下の通り。
- お金をもって現在の地位を築いている
- 人を機能として見ている
- 涼しげな顔立ち
- お互いに名前を変えている
- 屁理屈が得意
- 自分は他人とは違い特別であると考えている
異論は認めますが、このような共通点があればこそ、ヒカルさんの現在があるのではないでしょうか。
松波庄九郎はスタート位置が悪く、国主に留まり天下に号令をかけるには至りませんでした。
ヒカルさんのゴールも日本一とのこと。
現代の国盗り物語に主役は二人は必要ないということでしょう。
まとめ:漫画も良いが、小説も良いものだ
漫画には漫画の、小説には小説の良さがある。
人間年を取れば、味覚が変わることは珍しくない。
されば、読み物に対する味覚が変わっても不思議ではあるまい。
漫画しか読んだことがないという方も、活字が苦手という方も、司馬遼太郎作品には不思議と読める理由があります。
漫画以上の冒険譚があり、心を揺さぶられる体験が味わえる。
Youtuberヒカルさん。
ぜひとも、国盗り物語を読んでみましょう。
キングダムの桓騎が好きなら、間違いなく物語に没頭するはずです。
漫画以上に没頭する世界があるのだから・・・・・・